高橋まいこの生い立ちプロフィール

NEWS 2021/07/16

幼少時代

東京都出身の父親と大分県・山香町出身の母親の間に、3人きょうだいの末っ子として生まれました。父は小さな特許事務所の経営者、母は専業主婦です。好きな遊びはケイドロと水鉄砲。悩み事は飼っていた犬に相談するような子ども時代でした。

中学時代

きょうだいが不登校ひきこもりをしていたことから、小学校卒業と同時に家を出ることになりました。北海道で寮生活をするなかで、出会ったのはたくさんの親友。政治を志すようになったのもこの時期です。

政治を志したきっかけ

昭和63年生まれの私にとって、日本という国は「縮小する国」、「下り坂の国」でした。生まれてすぐにバブルが崩壊し、GDPは中国に抜かれ、人口は減少し続ける。そんなことを感じていた中学1年生の時に、司馬遼太郎さんの歴史小説と出会ったのです。幕末時代の日本は経済や人口の規模は今よりもずっと小さかったにも関わらず、本当に素晴らしいものを持っていました。そして、その国を守るために命を懸けて外国と交渉し、改革を成し遂げたたくさんの英雄がいました。その生きざまを学ぶなかで、足元の経済状況や人口問題に捉われることなく、日本がどんな苦境にあったとしても、最後まで少しでもこの国に貢献できるようになりたいという想いが強くなり、政治を志すようになりました。

高校時代

西郷隆盛さんに近づきたいという想いで、剣道部に入りました。決して強い選手ではありませんでしたが、間違えたら自ら申告をし、対戦相手への敬意を重んじるという精神を学ぶことができました。

大学時代

台湾出身の金美齢さんが書かれた「日本人に生まれて幸せですか」という本を読み、「こんなにも日本のことを大事に思ってくれている台湾に対して、私も日本人として何か恩返しをしなければならない」という気持ちになり、台湾へ交換留学をしました。これからも、利害だけではなく、国と国の絆を結ぶことに重点を置いた外交を推進していきたいと思っています。

松下政経塾時代

政治とはまったく縁がない家庭に生まれたため、選挙に出るためには「まずは少しでも政治の世界に近づかなければいけない」という思いで、松下政経塾に入塾しました。研究テーマは「道徳大国」。民主主義等の価値観を共有する国々での経済発展を目指していきたいと思っております。

社会部記者時代

司馬遼太郎さんと同じ記者として政治に関わろうと思いました。それまで政治家になることに猛反対していた母親が一番の応援団長になるきっかけがあったのもこの時です。京都総局で警察担当をしていた時、母が遊びに来てくれました。夜中にお賽銭泥棒の逮捕に関する広報が送られてきて、私は飛び起きて取材を始めました。もちろん、記事にもならない地味な取材ですが、初めて娘の働く姿を見た母は何も言わずに、それ以降は何をしようとしても応援してくれるようになりました。

政治部記者時代

政治部に行かなければ当初の志が遂げられないと思い、転職をして、政治部記者になりました。甘利明先生の番記者としてTPP交渉の取材を担当。TPP交渉は価値観を共有する国の間での貿易を活発化させて経済発展を目指す国際協定ですが、他の参加国の期待を背負って、超大国アメリカを相手に一歩も引かずに交渉し、すべての国が納得できる着地点へと交渉をリードする姿に、初めて小説の外の世界で理想の日本を目の当たりにしました。政治への憧れが確信へと変わった瞬間でした。

結婚・出産

29歳の時、一緒に財務省担当をしていた記者仲間と結婚しました。夫は日本が大好きなアメリカ人で、徳川家康の外交アドバイザーである三浦按針さんを主人公にした「Syogun」という本に憧れて、日本にやってきました。翌年には息子が生まれて、家族3人の生活が始まりました。

公募

2019年6月、自民党大分県連の公募で次期衆院選の候補予定者に選んでいただき、夫婦で東京の会社を辞めて、大分で政治活動を始めました。いわゆる「地盤、看板、鞄」がないなかでの活動は、その他の力のある候補者の何倍ものご心配をおかけしながらの活動でした。私たちの世代のさらに後に続く若者が、力はなくとも想い一つで政治に参加できるような、誰にでも開かれた新しい政治を築いていくことで、ご恩返しをしていきたいと思っています。皆さまと一緒に、より良い大分県をつくっていけるように一生涯を懸けて仕事をして参ります。

公式プロフィール写真